『A Thousand Cuts』上映会レポート - SHIBAURA HOUSE
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実施レポート

『A Thousand Cuts』上映会レポート

実施レポート

12/10の国際人権デーにあわせ、フィリピンのジャーナリスト、マリア・レッサ氏を追ったドキュメンタリー『A Thousand Cuts』の上映会を開催しました。マリア・レッサ氏は2021年のノーベル平和賞を受賞しています。映画上映の後にはNHKの髙田彩子さんをゲストに招いたダイアログセッションも実施。フィリピンの麻薬戦争によって犠牲となる人々の人権、そして政治とジャーナリズムについても考える機会になりました。

「法で治めるには恐怖が必要だ」(Because the rule of law, there must be fear. )

これはフィリピンのドゥテルテ大統領の言葉。マリア・レッサ氏とのインタビューで「あなたは人を殺し、一方で憲法を守る立場です。これをどう説明するのですか?」と質問されたときにこう返しました。

2016年の就任以来、ドゥテルテ大統領が推し進める麻薬戦争。国内に蔓延する麻薬を一掃するため、麻薬に関わっていると思われる人々を次々と殺害。ときには裁判もなくその場で射殺。そこには無実の罪で殺される若者も数多く含まれると指摘されています。ある人権監視団体によると、この「超法規的殺人」と言われる犠牲者は2万人以上に及ぶと報告されています。

映画ではドゥテルテ大統領に批判的なマリア・レッサ氏が率いるニュースサイト、ラップラー(Rappler)が、その事実を果敢に追及。大統領とラップラーが激しく対立する様子が描かれます。ときにはレッサ氏自身も、さまざまな罪を着せられて逮捕されてしまいます。彼女はそのような大統領のやりかたを「権力の濫用」と「法の兵器化」であると糾弾。またポピュリストの政治家とフェイクニュースの拡散という組み合わせが、さながらエコシステムとして社会全体を覆う現状をつまびらかにします。

この映画を観る日本の私たちは、ドゥテルテ大統領の非人道的な統治手法につい目が向いてしまうかもしれません。麻薬に関与するとみれば手当り次第に殺害する残酷な独裁者だと。しかし一方、その大統領がフィリピン国内で80%を超える支持率を誇ることも考える必要があります。彼はここ30年間でフィリピン国民からもっとも支持されている大統領です。私たちが映画から感じるものと国内の実情には大きなギャップがあるのです。

この点についてはフィリピン情勢に詳しい専門家がいろいろな場で解説しています。それらを端的にまとめると、下記のようになります。

・フィリピンに長く蔓延する麻薬と汚職問題。ドゥテルテ大統領は乱れた治安に対して「規律と秩序」を謳い、それを麻薬撲滅戦争の名のもとで実践する。その成果として、治安は改善されていると国民の目には映っている。

・かつてのマルコス大統領による独裁から民主化して30年。民主化されたとはいえ人々の生活は向上しない。それに対する諦めのような気持ちから、もっと強いリーダーシップを求める国民の期待がある。

・いまのフィリピン社会が「貧困層 vs 富裕層」で分断されているとは言い切れず、むしろ「エリート層 vs 反エリート層」という対立構造で捉えられる。民主化されたとはいえ、依然エリート層がこの国を支配してきた歴史への反発がある。その点、ドゥテルテ大統領は完全な反エリート主義。そこに多くの人々が共感している。

上映後のダイアログセッションでは、参加者の方からも鋭い感想を頂きました。「いま自分はここに居いるからドゥテルテはおかしいと感じる。ただ、もし自分がフィリピンに居て投票するとしたら、ドゥテルテに一票入れてしまうだろう」

ドゥテルテ大統領や支持者にとって、麻薬戦争は社会に秩序をもたらす、いわば「完全な正義」。麻薬に関わる人々は悪であって、その人たちが殺されても仕方のないこと。何よりも治安が良くなることが最優先……。フィリピンの現状を調べていくと、そうした社会全体の意識を感じます。映画の最終盤では全国の中間選挙が行われ、ドゥテルテ派が圧倒的な勝利を収める様子が象徴的に映し出されます。

私たちが当たり前に思う民主主義や人権は、フィリピンのような状況に置かれている社会や人々にとってどう映るのか。その理由について歴史的な文脈から深く考えることが、ひいては人権を尊重できる社会づくりへと繋がるように思います。

ちなみにタイトルの『A Thousand Cuts』は、文字通り訳せば「1,000個の傷」。本人もやられたことに気がつかないような、かすかな傷の数々。それらがいつの間にかフィリピンの民主主義を弱らせ、死に至らしめるという意味です。

『A Thousand Cuts』
監督:ラモーナ・ディアス
ドキュメンタリー映画/2020年/98分/日本語字幕

開催概要
・日時:2021年12/11(土) 19:00〜21:30
・会場:SHIBAURA HOUSE 5F
・ゲスト:髙田彩子(NHK 大型企画開発センター ディレクター)

協力:Movies that Matter
後援:オランダ王国大使館