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この場所をつくるまで

株式会社 SHIBAURA HOUSE 代表取締役 伊東 勝
(このページでは旧社名「広告製版社」の表記で一部執筆しています)

旧社屋の写真
▲SHIBAURA HOUSEに建て替える前の社屋

 広告製版社の創業は1952年。その社名が示すように、長い間、新聞や雑誌広告の「製版」を主な仕事にしてきました。いまでは製版だけでなく、パッケージや広告のデザイン、イラストや3Dでの画像制作、さまざまなイベントの企画も行なっています。

 社名の由来となっている「製版」は、デザインと印刷の中間に位置する仕事です。実際には広告物を印刷する際に印刷機に巻きつける「版」をつくることを指します。ハンコやスタンプの「版」をイメージしてもらえればわかりやすいかもしれません。今ではコンピュータによる作業(DTP)ですが、昔は職人たちが手作業で作っていました。


成長と衰退(1950~90年代)

 製版という業態は広告産業に含まれます。広告製版社は創業以来、日本の高度経済成長と共に順調に業績を伸ばしてきました。経済の成長に伴い、広告に対する需要が増加し、会社も順調に大きくなりました。最盛期には都内に複数の事業所をもち、200名以上の社員が在籍していました。さらに80年代後半から90年代にかけてのバブル景気も成長を後押し。当時の社員の給与や、設備投資費は今とは比較にならない額でした。

当時のビルの1Fに設置されていた印刷機
▲当時のビルの1F。品質を確認する色校正用に印刷機が2台設置されていました

 しかしながら、それも長くは続きませんでした。バブルが崩壊し、しばらくしてリーマンショックを迎えました。広告は景気に左右される業態です。社会全体の経済活動が停滞するに従って、業界全体が極めて厳しい状況に直面することになりました。さらに追い打ちを掛けるように、広告制作の環境もアナログからデジタルに移行。経営状況も悪化したため、人材や設備などを含め、社内構造を大きく転換する必要性がありました。


社屋の建替え(1990~2000年頃)

 実は私たちにはもうひとつ、転換に向けたモチベーションがありました。それは地域とのつながりです。というのも、以前から会社では地域の商店会や町内会のお手伝いを続けてきました。夏に開催されるお祭りのポスターを制作したり、余剰在庫となった用紙を幼稚園に提供することもありました。小さなことかもしれませんが、地域の人達と何らかの関わりを築こうとする企業文化がありました。そこで、もし新しい社屋が社員のためだけでなく、地域の人々も利用できる場になったら面白いのでは、と考えるようになりました。

 会社の未来をつくり、同時に地域社会で求められる空間とはなにか。そのふたつが両立できるようなものを作りたいという思いが次第に強くなっていきました。そうしたアイディアを2、3年考えながら、資金面も含めた準備に取り掛かりました。

 一方、その空間設計を考えた際、建築家の妹島和世さんの名前が浮かびました。個人的な話になりますが、学生時代、岐阜のIAMASマルチメディア工房という施設を訪問した際に大きなショックを受けました。そこにあったのは今までに見たことのないような半地下に埋まる建築物。建築とランドスケープが一体化したような構造でした。

 それを設計したのがSANAAという建築家ユニットであることを知り、とても興味を惹かれました。その後、SANAAは原宿のhhstyle、金沢21世紀美術館と立て続けに斬新な作品を発表。建築の新しい時代を切りひらく、目の離せない存在になっていきました。


SHIBAURA HOUSEの構想(2008年)

 2008年、知人の紹介で初めて妹島さんご本人にお会いして、こちらの要望を伝えることができました。設計をお願いするのは新しい社屋。ただしオフィススペースは必要最低限に留め、残りを誰でも自由に使えるような空間を求めていると伝えました。社員と地域が共有するひとつの家のようなイメージです。そのアイディアに至った経緯や価値観を説明し、お互いに意見も交わしました。幸いなことに、妹島さんも興味をもってくれたようで、その場で設計を引き受けてくれることになりました。

 それからの1年間は基本コンセプトを固めることに費やしました。こちらからは「人の気配が感じられる、上下階が繋がった家のような空間」という漠然としたリクエストのみ。あまりに抽象的すぎるイメージを形にするため、妹島事務所のスタッフと一緒に、ヨーロッパやアメリカへ建築ツアーに行ったこともありました。

建設途中のロレックス・ラーニングセンター
▲当時は工事中だった、SANAA設計によるロレックス・ラーニングセンター(スイス・ローザンヌ)。SANAAの山本さんと
シアトルにあるパブリックライブラリー
▲OMAによるシアトル・パブリックライブラリー。建物のインパクトだけではなく、「パブリック」のありかたを考えさせられる運営側の姿勢に感激。SHIBAURA HOUSEのコンセプトづくりの際、とても参考になりました

 しかし間もなくして、具体的な設計案が出された時には驚きました。イメージがいきなり具体的になったというか、それは実際に完成したものの原型のようなプランでした。これ以降、私たちもこの空間を活かした運営方法を現実的に考えられるようになりました。

 それから最終的な設計が固まるまでに、さらに1年がかかりました。毎月開かれるミーティングは新しいアイディアが積み上がってくような雰囲気で、とても刺激的なものでした。ようやく最終案がまとまり、その模型を見せてもらったときには、これが本当にできたらどんなに素晴らしいだろうと想像していました。

SHIBAURA HOUSEの建設途中の様子。妹島さんと。
建設途中の最上階
▲建設途中の様子(5F)。複雑な積層を実現するために、非常に高度な構造計算が必要になりました

竣工、運営(2011年)

 2011年7月にSHIBAURA HOUSEは竣工しました。以来、地域向けのワークショップや海外のクリエイターを招いた企画など、多くのイベントを実施してきました。1Fのフリースペースには近所の人々が集まり、さながら公園のような雰囲気を生み出しています。

竣工したばかりの様子
▲街並みを考え、隣のマンションに高さを合わせて設計されたと聞きました
フリースペースを使う近所の人たち
(写真下: Iwan Baan ©)

 妹島さんによる設計空間を見るために、世界中から見学者が訪れます。以前の社屋では考えられなかったような、非常に多くの人達との出会いが生まれています。これからの課題は、このSHIBAURA HOUSEという家に集う人々がお互いを知り、理解し、立場を超えた関係性を築いていくことです。このSHIBAURA HOUSEという素晴らしい空間を活かしながら、より魅力的なコミュニティづくりに貢献していきたいと考えています。

設計・管理妹島和世建築設計事務所
構造設計佐々木睦朗構造計画研究所
施工清水建設
竣工2011年6月
構造・規模S造5F
延床面積950m2
所在地東京都港区芝浦

(2020.10.27)

*このページの写真は、 Forward Strokeが撮影しました